インタビュー1

「妖怪」と「市民」の手作りで生まれた、鳥取県随一の観光地「水木しげるロード」
インタビュー1
1953年2月28日生まれ。鳥取県境港市生まれ。
父の代、50年前から続く駄菓子屋を水木しげるロードで経営。
2003年に水木しげる記念館が完成し、水木しげるロードの拡張や水木しげるロード振興会の新規会員の勧誘など、 さらなる活性化を目指し、2006年から水木しげるロード振興会の会長に就任。

今回、妖怪だるまをデザインしたnendoの佐藤オオキさんが感動した、という「水木しげるロード」。まず、「水木しげるロード」について簡単に教えてください。

800メートルの道路沿いに134体の妖怪のブロンズ像が並ぶ街
インタビュー2
鳥取県の堺港駅から本町アーケードまでの全長約800メートルの間のことです。 ここには、境港市出身の漫画家・水木しげるの代表作である『ゲゲゲの鬼太郎』、『河童の三平』、 『悪魔くん』に登場するキャラクターを中心として、 日本各地の妖怪たちをモチーフとしたブロンズ像が設置されています。








インタビュー3
最初、地元住民は妖怪のブロンズ像の設置は反対でした…
今から17年前、1993年になります。商店街への回帰の期待を込めて、地域住民の憩いの散歩道として、 行政が企画したのが水木しげるロードきっかけでした。
でも、実は、地元の住民は反対だったんですよ…。 みなさん、水木しげるロード沿いの店舗は住宅も兼ねていらっしゃるので、 家の前に妖怪、もののけが設置されるのは、気持ち悪いと。 設置については、ほとんどの住民が反対でしたね。 ただ、そこを行政が説得して、まずブロンズ像が23体設置されました。

どのようにして、水木しげるロードのことが広がっていったのでしょうか?

全国に知られるきっかけは、ブロンズ像の盗難事件
すぐには反響はありませんでした。しかし、小さいブロンズ像がある時、盗難される、 という事件がありまして、これが一つのきっかけになったのだと思います。 この盗難の事件が新聞の一面に、しかも全国紙に掲載されたのです。 それで一気に、全国にこの水木しげるロードのことが知れ渡りまして、 土日にブロンズ像の写真を撮りに来る方々が増え始めました。 なかには、他県ナンバーの車もありました。

そして、徐々にお客様が増えていき、最近では、年間の観光客が150万人を超えるまでになりました。 ブロンズ像も最初は行政により設置されたものでしたが、 民間からの寄付などで徐々に追加されていきました。以下が簡単な年表になります。
1970年~ 境港市は日本有数の漁業によって立つ地域で、商店街も発展したが、1970年頃から大規模小売店の進出等によって、空き店舗が増加し空洞化
1993年 商店街への回帰を目的に、ブロンズ像を23体設置。
設置当初の観光客数は、年間2万1000人。
1997年 妖怪のキャラクターを徐々に増やし、ブロンズ像を80体に。県外にも徐々に知名度が広がり、観光客数はついに年間38万人に
2003年 水木しげる記念館 オープン
2006年 ブロンズ像120体に。中小企業庁が選定する「がんばる商店街77選」に選出
2007年 「ゲゲゲの鬼太郎」のアニメシリーズ、実写映画の公開もあいまって、初めて、100万人を超え、年間観光客数147万人に。鳥取砂丘を越えて、鳥取県の一大観光地へ。
2009年 ブロンズ像134体。年間観光客数 157万人に。

すごい進化ですね。ここまで来るのに、もちろん、水木しげるさんのご尽力も大きいと思いますが、水木しげるロードの店舗の方々の努力も大きかったのではないかと思います。どんなことが大変だったのでしょうか?

計画されて生まれたのではない、すべて手作りの街
インタビュー2
先ほども申し上げたように、最初はこのブロンズ像は地域住民の憩いの場、散歩道だったんです。 150万人もお客さまを呼ぼう、と考えたものではありませんでした。そういう意味で、計画して作られた観光地ではないのです。

少しずつブロンズ像が住民に受け入れられ、観光客が増えてくるなかで、水木しげるロードの店舗が集まって、 「お客様の要望にもっと応えるためには」ということを知恵やお金、時間を出し合って、みんなで作ってきました。

やはりブロンズ像だけではさびしいので、まずは、妖怪の着ぐるみをみんなのお金で出し合って作り、 それをみんなで交代で来て歩き回ろうと。この着ぐるみも町内会で集まって、一つひとつ手作りしたものなんです。

そうすると、今度はお客様から「お土産ものはないか」という話になる。「それでは、お土産をつくろう」 と徐々に今のような妖怪関係のお土産が増えていきました。

今度は、「象徴的なモニュメントが必要だ」ということになり、行政と連携し、 水木しげるロードの両端にそれぞれ、水木しげる記念館と妖怪神社をつくりました。 点と点が線になり、店舗も増えていきました。

こうして、本当に住民がすべて手作りでやってきたこと、これが大変だったと思います。

境港は、水木しげるロード以外にも、電車や船、郵便ポストまで、「妖怪」一色ですよね。 街にとって、今は、「妖怪」はどんな存在でしょうか?

いまでは、妖怪は各家の守り神、ありがたいです。
インタビュー2
最初は、一部の人には、もののけで気持ち悪いという印象だったのですが、今では、 本当に感謝、愛着を持っているんだと思います。その証拠に、家の前の妖怪については、すごい詳しいんです。 逆に、家の前以外のブロンズ像についてはあまり詳しくなかったりする。
今までは、すっかり、住民にとっては、妖怪が家の守り神のようになっているのではないでしょうか(笑)ありがたいですよね。

実際に訪れるお客様を見ていて感じるのですが、妖怪って、ゲゲゲの鬼太郎がおじいさんには貸本だった頃から、 お父さんには当初のアニメ、子供は最近のアニメと、3世代が同時に同じ話題で話せるんですよね。 そういう世代をつなぐキャラクターって、サザエさんか、鬼太郎しかないんじゃないかと思っています。

今回、水木しげるロードをデザイナーのnendoが訪れたことをきっかけに、「妖怪だるま」の企画が生まれ、製造・販売されることとなりました。この取り組みに期待することは何ですか?

愛着が持てるグッズを作って欲しい、と大いに期待
現在、水木しげるロードには、全国からお客様が来ています。 ニーズも多様です。そういう意味では、お客様に喜んでもらうために、 グッズのラインナップが広がるといいなと思っています。 そして、みんなが愛着の持てるグッズを作って欲しいと大いに期待しています。 水木しげるロードでの販売も検討中です。

最後にこれから、水木しげるロードが目指すこと、教えてください。

ふらっと来ても楽しめるロードに
初めてきていただいたお客様が「また来たい」と思って頂けるような魅力あるロードにしていきたいと思っています。 そのためには、ブロンズ像のハード面だけではなくて、イベントの充実が大切だと思っています。

これまでも、「世界妖怪会議」、「妖怪そっくりさんコンテスト」、 「妖怪検定」など、妖怪の聖地として、様々なイベントも実施しています。

こうした、あらかじめ決められたイベントもそうですが、さらには、 「ふらっと来ても楽しかったね」と言って頂けるように、二人一組の「下駄積み大会」のような、 急に始まるようなイベントも織り交ぜて、充実させていきたいです。

インタビュー

佐藤オオキ

妖怪だるま デザイナー nendo 佐藤オオキ 氏

デザインでつなぎたい、「妖怪」と「伝統工芸」、そして「世界」

1977年 カナダ、トロント生まれ 2000年 早稲田大学建築学科首席卒業、 2002年 早稲田大学大学院修士課程修了後、有限会社nendo設立。
2005年 ミラノオフィス開設。NHK「TOP RUNNER」出演、 Newsweek誌「世界が尊敬する日本人100人」選出、 2007年 Newsweek誌「世界が注目する日本の中小企業100社」選出。

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鶴田浩

特定非営利法人メイド・イン・ジャパン・プロジェクト 代表 鶴田 浩 氏

産地メーカーのものづくりの力で、「妖怪」を現代的なニッポンスタイルに!

1963 年愛知県豊明市に生まれる。大学卒業後、 建築現場監督からはじめ 設計監理業務を経て建築・空間プロデューサーとして従事、その間、 米国・EU 諸国・アフリカを 1 年半放浪の旅に出、日本の素晴らしさに気づく。
2002.2 独立し、地域の生活文化の向上をめざし小物から家具、建築、 街づくりに至るまでを提案するスタイルショップ『REAL Style』を名古屋市中区にオープンする。
2002 年度名古屋市都市景観賞受賞

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